体験したことの「意味」が変わるとき

2024年07月22日 | フォーカシングとココロの肥料

🌳凍り付いてた時間が動きました


少し前のことになりますが、
フォーカシングのワークショップに参加してきました。

2日間の講義と実習の最後に行ったワークの中で、
ずっと縛られて固まっていたものが、解けて楽に感じられるような、
そんな経験ができました。

そのときのワーク(カイロス・フォーカシング*)の概要をお伝えしようと思います。


3人グループを作り、話し手、聴き手、観察者に役割分担し、3回のセッションを行いました。
私が、話し手(フォーカサー)となった時、
長く続いていて、とても気がかりな反応を起こす出来事を選び、
フォーカシングをすることにしました。

その出来事の全体を思い浮かべてみると・・・
海上の船の座礁事故等が原因で、オイルが漏れ出したニュースで見るような、
岩の上で、黒いオイルにまみれ翼を広げている海鳥のイメージが浮かんできました。

胸が詰まるような、息苦しさも感じられ、
「事故による被害を受けて、自分は自由に飛べなくなっている」と思った後、
私の幼い時のある体験が連想されました。


小学校低学年の時のこと。
私の母は、学校で体調が悪くなった私を自転車で迎えに来る途中に、事故に遭ったのでした。

顔に一生残る傷を負い、様々な手術や治療を試みましたが、粘膜の一部の痛みは消えず、
生涯を終えるまで、つらさを訴え続けていました。

このことでは、母本人からも、誰からも責められた記憶はなく、
母との関係も悪くなかったと思います。
けれども、
私がきっかけで起こった事故という思いが消えず、
母の顔の傷を見る度に、母が痛みを訴える度に、
私は、罪悪感と自責の念をもたずにはいられませんでした。

ある時、母から、
「自分の傷のことより、あなたが悲しむ方がつらい」と言ってもらえたことは、
ありがたかったですし、気持ちが楽になったように思えました。
けれども、
やはり、思い出すときに生じる、胸の痛みや息苦しさは残っていて、
私の身体の中では、受け止め難い残念な気がかりとして存在し、
私の在り方にも大きな影響を及ぼしていたようです・・・。


​「もし、どこでもドアがあって今何かできるとしたら?」

と聴き手(リスナー)に提案をされたとき、私が思いついたのは・・・
「事故に遭う前の母に会いに行きたい!」ということでした。
「お母さん。その道を行ってはだめ。他の道で行って!と教えたい。」
​そのことを聴き手に説明を終えると、
「あぁ、母が自分で選んだ道だったのだ。そして不運にも偶然起きてしまった事故だったのだ」
ということを、しっかりとした実感を伴って、認識ができたような気がしました。
そして、
「事故から生じた出来事の影響で、自由に動けなくなっていた部分がある」ということも
はっきりと認識することができました。
すると、
それまで感じられていた身体の緊張が、ふっと解けて楽になるような感じがして、
何かが弾けて拡散していくような感覚がありました。
​​
今でも、
「母の事故は、悲しく残念な出来事だった」との思いは変わらないのですが、
このことについて、私の体験したことの「意味」は変わったようで、
以前よりも、大分楽な気持ちでこの出来事を見つめることができ、
こころにも、収めやすくなったような気がしています。
それから、
やりたくても動けずにいた事に挑戦して、動き出すエネルギーも出てきました。
​​
ワークショップの中の短いセッションでも、このような貴重な経験ができたのは、
・長年、他の場所で継続的に自己理解のためのトレーニングを進めてきていたこと
・安全、安心だと感じられる環境(講師の方、参加メンバー)であったこと
・2日間のワークショップで学びを進めた上での最後のワークとなっていたこと
これらの条件が揃っていたから可能になった、とも思っています。
​ワークショップのスタッフ、札幌フォーカシングプロジェクト(*)の皆さん、
講師の星加博之氏(*)、参加メンバーの方々、これまでご支援いただいてきた方々、
そして、
フォーカシングを発見したジェンドリン氏には、本当に感謝しています。
​​
※今回の記事は、かなり私事である為、載せるかどうか迷いました。
けれども、カウンセリングやフォーカシングの効果について、皆さんと共有することで
「お役に立つことが何かあるかもしれない」と思い、投稿することに決めました。

*カイロス・フォーカシング:講師の星加氏が発案した、トラウマケアの方法の1つ。
参考URL(フォーカシングin 北海道より):https://00m.in/qhQlg
*札幌フォーカシングプロジェクト:https://sapporo-focusing.org/